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巫女石と牛石 2つの悲劇 [伝説]

我が国では、古来多くの修験場において「女人禁制」が敷かれていた。その理由としてもっとも多く使われていたのが「女人は不浄、あるいは汚れているから」とか。
今、こんな理由で女性を閉め出したらマスコミで大叩きされるだろう。
修験場から女性を追い出した本当の理由は、修行中の若い僧侶たちが女性を見ると心が乱れ、修行に身が入らないからに他ならないのだ。自分たちの甘さに気づかないばかりか、ちゃんと説明も出来ないような理由で女性に無実の罪を着せようなんて、修験者の風上にも置けない振る舞いだ。

日光の地も修験場として高名を得ていたことから、当然のように「女人禁制」だったし、もっと悪いことには、牛馬までもが閉め出されていた。女性と牛馬を同等にみなした、と非難されても申し開きが出来なかっただろう。

この男社会が生み出した不平等規制に抵触して石に変えられた少女と牛の悲しい物語が残っている。

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一度奥日光を訪れたことのある人なら見覚えのある中禅寺湖南岸に立つ大鳥居。その右側にひっそりと立つ巫女石。何時どこで誰が見つけたのか、なるほど巫女に見える。高さ70cmとあるのは、石に変えられたときに縮小されたのだろう。

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男社会の勝手な理由で石にされてしまった、気の毒を絵にしたような女性像である。

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第1いろは坂下から3つ目のカーブにある女人堂跡。女性はここから引き返さねばならなかった。

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ツツジの頃はきれいで良いが、この差別に歯ぎしりしながら引き返す身には、悔しい景色だったことだろう。

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2番目の犠牲者が牛である。農夫に引かれて修験の場に来た牛までもが石にされてしまった。その石は明治時代には二荒山神社境内にあったというが、昭和初期以前に行方不明になったという。

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当時の写真に見る牛石。なるほど、頭だけをもたげて四肢を投げ出した牛に見える。

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その牛石を復元しようという機運が高まった。入会費1000円で終身特典が与えられる。

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以前の牛石とはかなり違った形態のものが復元されようとしている。

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頭部になる予定の部分を除いて、他は会員が好きに削ってください、という破天荒な計画である。

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プラスチックの篭の中には、既に削られた石のかけらが溜まっていた。
さて、どのような牛石ができあがることだろう。楽しみではある。


21,6,16 六方沢のブロッケン1-1b.jpg
関係ないが、先日六方沢の橋の上から見たブロッケン現象。
太陽を背にして立ち、前方にスクリーンとなるべき雲があると、自分の影が虹色の明るい円盤の中に黒く映る。

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雲がほとんど消えかけても、わずかな白さの上にきれいに光り続けていた。

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